五感でみつける 目で感じる
なだらかな地平線。ゆっくり自分の歩幅で。
今年最初の満月。
毎月こうして文章を綴っているわたしですが、実は毎回お題やテーマに応じて書いているのではなく、ある特定のキーワードがきっかけとなり、そこから湧いてきた言葉を拾い集め自分なりの表現を探っている、というのが現状です。
そんななか今回非常に気になったワードーそれが「高原社会」&「幸福感受性」by 山口周氏。
その言葉に出会ったのが有料記事なので、詳細をここで記すことは控えますが、哲学者として、また組織改革やアート等の専門家として数々の著作を上梓されているのでそのお名前を目にした方も多いかもしれません。
無料部分の一部をまずは引用してご紹介。
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―山口さんは「高原社会」という比喩を使って、経済成長が限界に達した時代について語っています。
「モノへの限りない需要に基づき、高い経済成長を維持できた社会を、山の頂点を目指して上昇を続ける登山にたとえ、「登山の社会」とします。そうすると、いまは登るべき山はなく、なだらかな高原をゆっくり安定的に歩くべき「高原社会」になります。
経済成長の限界という状況を受け入れれば、低成長や停滞、衰退というネガティブな表現で現在を語るのは不適切で、高原社会に軟着陸し、安定的に歩むための新しい生き方を構想すべきであると思います」
朝日新聞デジタル 2024年1月22日11時配信:
経済成長が終わった「高原社会」 山口周さんが考える幸福な生き方
より一部抜粋
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と、このような切り口からはじまり、ではどんな視座が必要だろう?どんな幸福のカタチだろう?という展開になっています。
ずっと右肩上がりの社会、人生がよいと思い込まされてきたかもしれないけれど、山登りを終えたあとに広がる、山口さん仰るところの「高原社会」―平坦かもしれないけれど、スローなゆとりある社会。自分の軸や感性を大事にする社会。それが真の満足につながるのでは。
わたしは大いに歓迎です。
そこには、自分なりのしあわせの指標があって、他人目線でのよしあしがA面であるとすれば自己採点のB面に誇りをもちよしとする。
そういうイメージ。
地方に暮らしているわたしとしても日々感じるバイブスですが、だいたいにおいて都市部がよし。地方は劣勢。と住民自ら卑下しがち。
だけれど、それは「ない」のではなく見えてないだけ。感受性の問題なのかも。
個人の問題にしてもそう。
自分を好きではない。という20代女性、「きらきらした同僚は才色兼備で、わたしなんて・・・。」と肩を落としながらインタビューに答える様子をテレビで目にし、いやいや、ずっと奮闘しっぱなしでエンジン全開の人生がよい。―のではなくて。(それがベストな生き方!と断言できる一部の方を除く。)そのありようが本当に心からの望みであれば羨むべし。だけど、自分なりのしあわせ感度のベクトルは果たして同じ?と、つい興奮し、テレビ画面越しに問いかけてしまったわたしは彼女の2倍生きてるからゆえの行動だったのでしょうか・・・。
自分のしあわせの感性は誰かにランク付けされるようなものではない。と胸を張り、もしかしたら今後あたりまえの価値観になりうるかもしれない来るべき「高原社会」の在り方に備え、堂々と好きなもの/ことにまっすぐなわたし、で。
なだらかな高原は駆け足ではなく、自分の歩幅でゆっくり景色を味わいながら歩いてみたいものです。
2024年1月26日 ●
Miki
English Lab/ doers(ドアーズ) 主宰。完璧さよりも小さな一歩を応援するパーソナルイングリッシュコーチ。文章やコーチングレッスンをとおして、心を整えきらめく日々を提供できたらと探求する日々
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