五感でみつける 目で感じる

我逢人

初めて出会うひとなのに、
初めて参加した集まりなのに、
なぜか自然と本心をさらけ出せてしまった。
そんな経験、ありませんか?

わたし自身、何かの集いに参加してそう感じた経験もあれば
仕事を通して、はじめてお話した方から
「弱いとこや、苦手意識を打ち明けても大丈夫なのですね!」
と言われた経験もあって、
それはどうしてだろう?とあるとき考えを巡らせてみました。

少なくともわたしはカウンセラーでもなく、これまでクライアントさんと何千人も出会ってきました!的な数値を持った人間ではなく。
ということは、特別なスキルや豊富な経験値によるものではなさそうです。

唯一言えるとすれば、自分がなにがしかの会やイベントに参加する側でもあるし、主宰者側として誰かを自身のコミュニティに招き入れる立場でもある、という両面の立場を経験していることくらい。

で。
ある日わたしなりにこの件について、実にシンプルな気づきに着地しました。
それはー知らない人ゆえのパワー。

どういうことかというと、「未知のひと」には自分の隠れた側面を引き出してくれる不思議な力があるのかも、という仮説。
これまで全く自分の人生に何の関わりもない他人であるがゆえのバイヤスゼロの自分が映るという意味で。

もちろん家族や友人など親しい人たちは、これまでの自分をよく知ってくれているからこその深い受け止めや理解があります。これはこの上なく貴重なこと。
一方で、未来の「わたし」のことを良くも悪くも予測して「こうかもしれない」と想定してしまいがち。
過去データから分析してしまうのが悪いというわけではなく、時としてフラットな視点になりづらい、という意味で。
なので、自分の過去を全く知らず、将来的に長い付き合いがあるかも不明な人の前では新しい自分の側面を出しやすい、のかも?と感じている次第。(これはまったくの主観なので個人的な意見として受け取ってください。笑)

旅先で偶然声を交わした方や隣り合った方々など、その一期一会感の気楽さのまま、自分の来し方をつい語ってしまったこと、わたし的には結構あるのですけれどね。

日常のただ中にいると、日頃の人間関係があまりに当たり前のものになりすぎて、自分を取り巻く人たちに思いをかける余裕もないことがあるけれど、こうした偶然の出会いであれば、ほんの少し枠が外れて相手に心を傾け自在に立ち振る舞えるものなのかもしれません。

我逢人。がほうじん。
人と人が出会う尊さ。
長きにわたる出会いになろうと、刹那の出会いであろうと出会うことで「何か」が生まれる、という不思議さにこれからも興味を持って観察していたい春の入口です。

2023年2月6日 

< 戻る次へ >

Miki

English Lab/ doers(ドアーズ) 主宰。完璧さよりも小さな一歩を応援するパーソナルイングリッシュコーチ。文章やコーチングレッスンをとおして、心を整えきらめく日々を提供できたらと探求する日々

https://lit.link/doers

このページのトップへ