五感でみつける 目で感じる
秘密の裏庭とコバノズイナ
たとえば、出会ってまだ間もないあのひと。
その人自身の想いと、その人が時折見せる言動との間には案外隔たりがあるものだなあ。
(なんだかツレナイ…と思ったら少々不器用なだけだった、とか。)と、距離が縮まるにつれて
わかることってありませんか?
同じようにー外見だけぱっとみるとなんだか冴えない。いや、冴えないどころか
朽ち果てる手前では?と思われる外壁で囲まれた建物。廃墟なのか時を刻んでいるだけなのか?
中に足を踏み入れるまで、その美意識が全く見て取れない意外性を秘めた場所に遭遇したことありますか?
実はわたし、ある日そんな秘密の空間に出会ってしまいました。
数百年の歳月が語る土塀に囲まれたお屋敷。
時を経て、今は季節感を部屋のうちそとに感じることのできるすてきな珈琲店に様変わり。
中でも裏庭は圧巻で、眺めているだけで時空を超えたバイブレーションが体じゅうに
降り注いでくるかのよう。
古(いにしえ)の住人たちは、ここで育つ野の花を日々の暮らしに取り入れて、
歳時を生き生きと過ごしていたのかな。
ただ目の前に広がる日々のうつろいを朝夕に味わって、それが美の原点であるとかないとか
観念的なことからも解放され、ありのままの自然の恵みを慈しんでいたのかな。
旧き物語のある建具、あえて整え過ぎない庭園、現代アートが施され生まれ変わったふすま、
和洋アンティーク家具の競演、キュッキュッと軋む音も軽やかに磨き上げられた廊下、
開け放たれたガラス戸を通り抜ける風―懐かしさと新しさ。繊細さと無骨さ。洗練と素朴。
一見共存しなさそうでいて、その実(じつ)あらゆるものが調和した世界。
制約や忍耐が強いられているこの日常をそっと癒してくれるようでした。
そうだ、住まいを愛する心は未来永劫尊いもの。
季節ごとの移り変わりを味わうことは美しきこと。
未だ落ち着くことのない不安定な社会情勢に囲まれてはいるけれど
ないもの、できないことを嘆くより、野の花をちょっと傍らにしつらえるだけで
世界は一変するのだった、と心地よさの原点に立ち返るわたしでした。
ところで、写真のコバノズイナ。可憐なのに花言葉が「少しの欲望」。
この花もまた、見た目と本質に隔たりが?
世の中はしみじみ意外性に満ちている・・・。
2021年5月26日 ●
Miki
English Lab/ doers(ドアーズ) 主宰。完璧さよりも小さな一歩を応援するパーソナルイングリッシュコーチ。文章やコーチングレッスンをとおして、心を整えきらめく日々を提供できたらと探求する日々
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