五感でみつける 目で感じる
瞑想散歩
ずっとあこがれていることの一つに、「瞑想」があります。
え?そんなの誰だってできそうなことでは??とお思いの方も多数いらっしゃるとお察しします。
はい、わたし自身ずっとそう思っているのですが、どうしたって雑念が脳裏に立ち昇り
「無」になれません。
告白すると、心やアタマがすっきりするどころか正直な話・・・苦行なのです。
そんなある日、瞑想に近い状態に導くひとつの行為が散歩。と耳にしました。
飽き性で、特に体を動かすことにまるで縁のないわたしが唯一続いている日課が1日1時間以上歩くこと。
どういうわけか歩くことは全く苦ではありません。都市部にいると好むと好まざるとに関わらず、駅まで必然的に歩かざるを得ないというケースが多々ありますが、地方都市では意識しないとかなりの高確率で車移動中心です。
移動手段にほとんど「徒歩」の選択がなく、歩くということは運動。
そんな感覚でしょうか。(*注:あくまでme調べに基づく)
そう、歩く=運動と思うと結構腰が重い。
けれどもわたし自身、何十年間歩くことが習慣になっていて思うのは、通勤など目的地を定めた移動はともかく、散歩する、と切り替えた場合、これ以上リフレッシュすることがあるのだろうか?と思うくらい、いわば精神のフィットネス。
緑が濃くなってきた朝もやの匂いを吸い込む、桜がつぼみから満開になって散りゆくまでを日に日に目に焼き付けて存分に堪能する、足元に咲き乱れた野生のすみれの可憐さに圧倒される、幼児たちが公園で遊ぶにぎやかな声に耳を澄ましてまっすぐな生命力を感じるー日常の美しさが半径1キロメートルにあふれんばかり。
周囲の色とりどりの景色や音で五感が満たされてゆく一方で、自分の頭の中はふっと静かにノイズが消えてしまう不思議。
こんがらがっていたあの問題も気になったあの一言もー複雑に思えた諸々は実は自分がそう思い込んでいただけなのかも?と、ざわざわしたこころがストンと整って、いったん手放してみるのもいいかな、あえて流れに任せてもいいかな、と、がんじがらめの思考の鎖がゆるゆるほどけていくのです。
いわゆる瞑想は向いてなさそうなのだけれど、もし心がクリアに整うことが瞑想のひとつの効果であれば、この精神のフィットネス、「ザ・瞑想散歩」もなかなか悪くないのかな、って思う卯月の入り口なのでした。
皆さんはさて、瞑想が得意ですか?それとも散歩派でしょうか?
2021年3月29日 ●
Miki
English Lab/ doers(ドアーズ) 主宰。完璧さよりも小さな一歩を応援するパーソナルイングリッシュコーチ。文章やコーチングレッスンをとおして、心を整えきらめく日々を提供できたらと探求する日々
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