五感でみつける 目で感じる

澄んだ目、静かな時間。

自分と向き合う、ということは字面ではやすやすと
言えてしまうけれど、さて、実際にまいにち自分のために
そうした時間を作っている人はどのくらいなのだろう?

とある時考えてしまい、例えばヨガを続けている方とか
精神統一しながら何かしら心身を動かす人とか?―と
思い浮かべること数秒、想像がぱたりと止まって
手元にあったノートに〇〇な時、〇〇な人、とか
書きはじめたら、ふっと発想が飛んで、我が日常の点検モード。

すると今身の回りに起こっていること、それらについて
感じることー楽しみなことや恐れていること・・・
どんどん言葉が連なって、結果として「対話ノート」みたいな
ページに仕上がったのでありました。

それから数週間、そんなメモをしたことすらすっかり忘れて
―いや、それどころかそのノートに別のノートやら本やら
乱雑に積み上げたまま放置していたものだから、
案の上ある瞬間に「無秩序の山」が総崩れ。
するとくだんのノートがバサッと落ちて、しばらくぶりに
自分の思いの丈を綴ったページと再びご対面したのです。

すこし時間が経ったせいか、その時よりずいぶん客観的に
自分の姿がみえてきて、例えば、「怖い」と思っていたことは
実に「自分ではない何者か」(本当はNoと言いたかったのに
その場を丸く収めるためには率直な自分を押さえていた。)、
になろうとして無理してたんだな~とか、楽しい!と
感じていたことは、純粋にありふれたことに何だか楽しみを
見出せているものなんだな~とか自分が書いたことなのに
驚きの発見続き。
いや、自分が書いたからこそ、リアリティある生命が
気取らない言葉の数々に宿ったのかもしれません。


そうしたある種のハプニングを経て、「書く」ことを
何となくゆるく自分のペースで続けてみたら、
一見単純なこの「書く」という行動が
どれほど自分を解き放ち、一方でどれほど日常に感謝よりも
不満が先だっているか(!)などありありと浮彫になって
書きながら自分の気まぐれさに時に顔から火が出たり、
都合のいい妄想をしては時にほくそ笑んだり
怪しい表情の連続でノートと向き合っている今日この頃です。

人によっては、こうした習慣が自己を成長させたり
ヤル気がみなぎったりするのかもしれないけれど、
わたし自身は、書くことで子どもの頃のような澄んだ目を
取り戻せたら、とひそやかな願いが横たわっていたりします。

不穏な社会情勢に振り回され過ぎず、
ありふれたものの中に神秘を見出す目。
どんな世の中でも平穏を見出す目。

さて、今日は満月。
今宵も静かな時間をノートとともに過ごしますよ。

2021年1月28日 

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Miki

English Lab/ doers(ドアーズ) 主宰。完璧さよりも小さな一歩を応援するパーソナルイングリッシュコーチ。文章やコーチングレッスンをとおして、心を整えきらめく日々を提供できたらと探求する日々

https://lit.link/doers

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