五感でみつける 目で感じる

待つこと。これもまた楽し。

北風を肌に感じ始めると、
ベランダの緑たちももはや緑とはほど遠く、
乾いた茶のグラデ―ションに様変わり。
ぱさぱさと風に揺られて、冬の到来を目の当たりする。

もちろん、室内で1年中グリーンを楽しむ暮らしは
可能だけれど、以前耳にしたある一言にハッとして、
以来、季節のあるがままでもいいのかもしれない。
と思うようになった。

それは、
「年がら年中変わらぬ生き生きとした
緑のある暮らしと、庭づくりの精神は別物。」
という話。

どちらがよくてどちらが悪い、という話でもなく
まさに精神の違いなのだけれど。

季節の移ろいとともに、
枯れて乾いて色あせてゆくその様は
ある種のいのちの終わりに見えて空淋しい。
けれども、冬の間、土の下では次の季節に向かい
静かなる生長のための準備をしている。

だから、そんな植物のお休み中こそ、
汚れてしまった鉢を丁寧に洗って干したり、
土のコンディションを確かめたり、実は園芸周りって
結構やることがあって忙しい。

なので、季節を問わず様々な国から届くグリーンや花々は、
室内でずっと目を楽しませてくれて癒しだし、
それ相応の手入れもあったりはするのだけれど、
こうした園芸活動とはちょっと似て非なるもの。
そういう話だったような気がする。
色鮮やかでみずみずしくて、ハッと目を引くものが
どうしたって一番に選ばれがち(植物たちだけでなく、
野菜やくだものなど他にもいろいろありますね)な昨今。
けれども、自然のサイクルを思えば、やっぱり四季がめぐってこそ
目にすることができたり味わえたりする、という原点がある。

一見淋し気な冬だって、
枯れた景色なりの趣やわびさびがあるものだし
華やかさがあってもなくても、
そこに寄り添える精神が美しく尊いものだったりする。

人間だって、一見静止状態にあるようにみえても、
実のところ養分補給中の段階なのかもしれず、
あるタイミングに到達するまでの大切な時間を過ごしている、
っていうことも十分あり得る。

外側からわかることだけが、きっとすべてではないし、
動より静が強くてたくましいことだってあるからね。

さて。
これからの木枯らしの季節、次の季節を待つことの楽しみに
思いを馳せながらちょっと土いじりに精を出してみましょうか。

2020年11月30日 

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Miki

English Lab/ doers(ドアーズ) 主宰。完璧さよりも小さな一歩を応援するパーソナルイングリッシュコーチ。文章やコーチングレッスンをとおして、心を整えきらめく日々を提供できたらと探求する日々

https://lit.link/doers

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