五感でみつける 目で感じる
Listen to me
ベランダのいちばん日当たりのよい場所―ここは、この時期たのしみにしている地元オリジナル品種のミニバラ「宇部小町」の定位置。
なのだけれど、ここ数週間の気温の乱高下や菜種梅雨のせいなのか、小さな葉っぱたちの青々とした勢いがまったく見当たらない。
それどころか瀕死状態と言っても過言でないくらい「もうだめだ」と、小さくかすれた声が鉢植えから聞こえてくるようで、一刻も早くなんとかしたいと思い立つ。
まず全体を仔細にみてみると、いわゆる害虫はいない模様。
ただ、枝葉がそれなりに伸び放題で、確か地元のバラの専門家の方曰く、満開になった後は栄養が分散しない注意も必要とのことだったような・・・。
あとはきっと根っこ。水やりしすぎはいけないと思い最近水を与えていなかったけれど。
結局ご近所の美しい庭仕事をなさっているマダムに教えを乞うたところ、むしろ水分が不足しているのではないか(そして水やりの仕方と排水にも問題が)という結論に。
あまりに情けない。基本のお世話がまったくできていなかったとは。
そうとわかれば教えていただいたことを実行するのみ。
するとあれだけ弱々しかった葉っぱたちも、真昼の陽ざしと適度な水分で翌日とてつもない生命力を示すように。
つぼみさえいくつか目にすることができるようになった。
生きている!
ところで、この一連の植物の再生は、まるでここ最近の自分をみているようで、いわば鏡のように映る。
ミニバラに足りなかった「水」のように、わたしには感覚が心底ゆさぶられる体験がここしばらく枯渇している、と思っていた。
けれども、最近とある集まりに参加したことで、突如解決することになる。
ある共通の好きなことについて、それぞれの意見を分かち合い、自分もなにかしらの想いを述べる。互いをジャッジせずなんとも穏やかな時間。
なのだけれど、その際わたしのこころのベクトルは、その「好きなこと」の内容以前のことがらに反応した。
丁寧に話を受け止めてもらえる心地よさの反動で生じた、普段の自分のあり方。
最近人の話や考えをちゃんと聴けていないのではないか。
まして自分自身の声、ちゃんと聴けているんだろうか?
英語レッスンでもあれだけhear とlistenの違いを訊ねられ、「hearは耳に自然に入ってくるという感覚で、日本語でいうところの「聞く」だけど、listenは「聴く」。能動的に、こころから、というイメージかな。」なんて偉そうに答えていたわたしとしては、我ながら講師の風上にもおけない。
誰かに何かに与えてもらうことで、感性が活性化されるなんて無意識が作用していたけれど、実は単純に自分自身の日々の心構えというのか、ありようというのかーまずはそこからだった。例えば丁寧に人の話に耳を傾ける。そういうこと。環境のせいでもなくぜんぶ自分の内側のことだった。
わたしにとっての「水」は、そういうことだった。
そして、この小さな再確認はわたしにとって、くだんのミニバラの再生を見届けた瞬間のようなまあるい希望であり、「心底こころ揺さぶられる感覚」よりもっと心身に沁みとおる直接的で純粋な成分となっていることを静かに体感している。
新たにどんな花が開いてゆくのか我がことながら楽しみでならない。
2024年5月23日 ●
Miki
English Lab/ doers(ドアーズ) 主宰。完璧さよりも小さな一歩を応援するパーソナルイングリッシュコーチ。文章やコーチングレッスンをとおして、心を整えきらめく日々を提供できたらと探求する日々
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