五感でみつける 目で感じる
浜辺のギフト
「春の海 ひねもすのたり のたりかな。」
与謝蕪村の一句が口からついて出そうなほど、
うららかで暖かな陽射しをたっぷり浴びた白波がゆったり
寄せては返す瀬戸内の海。
物憂げでもあり、なにか新しいはじまりを予感させるようでもあり
冬から目覚めてひかりに満ちた浜辺をただゆるやかに歩くだけで
季節の変わり目に不安定になりがちな心身のバランスがじわじわと
中心に取り戻されていく感覚が足元から感じられる。
ふと浜辺に目を移すと、この場所ならではのギフトが
そこかしこに散らばっているのに気づく。
一番の大物は、流れに流れてその造形を自然界がアートにまで
変貌させた流木たち。特に今日の流木の芸術性といったら!
「オブジェにしたい・・・花器にしたい・・・。」
そんな思いがついと湧き出るのだけれども、一方で、
海辺の散歩のたびに必ず思い起こされるのが、10代の頃ひと月半ほど
ホームステイしたオーストラリアの海での出来事。
滞在先のお母さんは夕方になると、ほぼ毎日のようにわたしを海辺の散歩に誘ってくれた。
週末に作り置きして缶に保管してあるバナナブレッドをスライスして、
トワイニングのアールグレイ紅茶のティーバッグ2袋、そして沸騰したお湯と常温のミルクをそれぞれポットに。散歩前にこれらをバスケットにセットするのがわたしの役割。「さあ、お茶のバスケットは用意できたかしら?」
「もちろん!」毎夕この会話を交わして、車で10分-いざ海へ。
浜辺につくと日本では見たことのない貝殻やガラスのかけらや流木がそこらじゅうに目に留まるものだから、珍しいやらうれしいやらで拾い集めてはホストマザーに披露したところー「本当にきれいね!でもね、これは自然からのギフトだから、ここが最高の居場所ではないかしら、と思うの。持ち帰るかどうかはあなたが決めることだけれど、わたしは海のギフトは海辺にあることが一番心地いいんじゃないかと思ってる。」とさらり。
この言葉は20年以上たった今でも鮮明に脳裏に焼き付いて離れない。
環境への配慮として云々、、、と諭されたわけでは全くないのに、当時のわたしにはとても響いた。持ち帰ることがいけないこと、と彼女は言いたかったのではない。なのに、少女だったわたしはとてもハッとさせられた。
きっと彼女の美学とか物事に対する姿勢とかーそうした精神性がしっかり横たわっていることに触れて当時のわたしは心動かされ、自然と彼女の考え方をリスペクトする気持ちになったのだと思う。
そして、こうした「心から肚落ちする」出来事とは、しばしばこうした何気ない日常の一コマでふっと遭遇してしまうものなのだと。心をふわっと開いた誰かとの交流の中で。
その後オーストラリアでの滞在中、注意深く人々の自然との関わりを観察しているとホストマザーだけでなく、多くの人が自然との共生具合がとても豊かで、学ぶところが多かった。
春の海辺を歩くとそんな記憶の扉がふわりと開いて、今となっては天から見守ってくれている彼女との海辺のお茶時間を思い出す。
次に海に来るときにはバナナブレッドとアールグレイ紅茶を用意しなくちゃ。
2018年3月31日 ●
Miki
English Lab/ doers(ドアーズ) 主宰。完璧さよりも小さな一歩を応援するパーソナルイングリッシュコーチ。文章やコーチングレッスンをとおして、心を整えきらめく日々を提供できたらと探求する日々
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